1867 - 1877
1877 - 1887
1887 - 1897
1897 - 1907
1907 - 1917
1917 - 1927
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1937 - 1947
1947 - 1957
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1977 - 1987
1987 - 1997
1997 - 2007
2007 - 2017
セイロンティーの物語
1852年、セイロンに到着したジェームズ・テイラー(James Taylor)は、ガラハのルーラコンデラ農園(コーヒー園)に 住居を構えました。
1867年、彼はルーラコンデラ農園内で約77,000平方メートルの茶園を始めます。これが、1世紀以上にわたるスリランカ最大の輸出産業の基礎となりました。
1872年、完全設備の紅茶工場がルーラコンデラ農園で操業を始めます。
1873年、ジェームズ・テイラーが生産した約10.4kgの茶葉がロンドンに到着し、セイロンティーが世界にデビューします。
1880年代、丘陵全域の農園主たちがルーラコンデラを訪れ、茶葉の栽培や生産の基礎を学ぶようになり、スリランカの紅茶生産は急速に成長しました。
1880年代末期には、ほとんどのコーヒー農園が、より収益性を期待できる茶の栽培に転向しました。
1877年のシロッコ型茶葉乾燥機や1880年の茶葉揉捻機などの技術開発によって、茶葉の商業生産が可能になりました。
1883年、セイロン商工会議所の支援により、(その後、多数開設されることになる)コロンボの公営茶葉オークションの第1号が、サマーヴィル社の建物で開催されました。
1884年、中央紅茶工場が、ヌワラエリヤのフェアリーランド農園(ペドロ)に建設されました。
1891年、ロンドンの茶葉オークションで、セイロンティーに1ポンド(約450g)あたり36.15スリランカルピーという驚くべき高値がつきました。
1892年、セイロンの紅茶産業の先駆者であるジェームズ・テイラーが、57歳で亡くなりました。
1894年、コロンボ紅茶取引業協会が設立され、続いて1896年にはコロンボ紅茶仲買人協会が設立されます。
この時期に生産量が大幅に拡大します
1899年までには、約1,620平方キロメートルの土地で茶の栽培が行われていました。
1915年は歴史的な年です。トーマス・アマラスリヤ氏が、大農園主組合初のスリランカ人理事長に任命されました。
1925年、生産技術の向上と生産量の最大化を目指して、茶葉研究所が設立されました。
その結果、この時期の終わりごろには、
スリランカは10万トン以上の茶葉を生産し、その大部分を輸出していました。
1932年、セイロン紅茶宣伝局が設立されました。
低品質な茶葉の輸出を禁じるために、より高い基準が規定されました。
1934年、1日に約1.8kgの茶葉を収穫できる世界最大の茶の木が、セイロンで発見されました。
1935年、セイロンは国際紅茶市場拡大委員会(ITMEB)の創設メンバーとなりました。
1940年、茶葉研究所は、茶葉を食べるチャノホソガの幼虫を駆除することに成功します。
寄生虫のMacrocentrus homonae(ハチの一種)を意図的にジャワ島から持ち込んで広めることで、この偉業は実現しました。
1941年、最初のセイロンティー仲卸会社、M/s Pieris & Abeywardenaが設立されました。
1944年、セイロン農園雇用主連合が設立されました。
1951年、茶葉に輸出税が課されました。
1955年、最初のクローン茶畑の栽培が始まりました。
これは、植物の繁殖を制御し、茶の最上の品種を作ることが目的です。
1958年、全国大規模農園公社が設立されました。
1959年、従価税がコロンボのオークションで販売される茶葉に導入されました。
1963年、アグラパタナに、最初のインスタントティーの工場が、ドイツのHalssen & Lyon社により建設されました。
1965年、スリランカはこの年に世界最大の紅茶輸出国となりました!
1966年、セイロンティー100周年を祝して、初の国際紅茶会議が開催されました。
1971年から72年にかけて、スリランカ政府は個人所有の茶農園を国有化し、引き継ぎました。
1976年、スリランカ紅茶局、ジャナタ農園開発局、小規模紅茶農家開発局が設立されました。
ティーバッグの輸出が始まったのも、この年です。
スリランカは、1980年のモスクワ夏季オリンピック、1982年のブリスベンでのコモンウェルスゲームズにおいて、茶葉のオフィシャルサプライヤーを務めました。
1981年、スリランカは、ブレンドして再輸出するために茶葉の輸入を開始しました。
1982年、緑茶の製造と輸出が始まりました。
1983年、茶葉のCTC(潰し、引き裂き、丸める)製法が国内に導入されました。
1992年、セイロンティー125周年を祝して、コロンボで国際紅茶会議が開催されました。
紅茶研究局が設置されました。
輸出税および従価税が廃止されました。
1993年、国有化された茶農園が、民間に返還されました。
1997年、スリランカの茶葉の輸出が25万トンに達しました。
1998年、ロンドン茶葉オークションの閉鎖にともない、セイロンティーの取引の中心はコロンボオークションのみになりました。
1999年、スリランカ紅茶局は、100%純正セイロンティーの象徴として、ライオンのロゴを全世界で商標登録しました。
2000年、セイロンティーの生産量が30万トンを超えました。
2001年、キャンディのハンタナにあるかつての紅茶工場を利用して、紅茶博物館が設立されました。
2002年、スリランカ紅茶協会が設立されました。
2008年、セイロンティーの輸出額が10億USドルに達しました。
2011年、スリランカ紅茶局は、セイロンティーの地理的表示(GI)認証を取得しました。これにより島内の認定地方で生産され、厳格な品質管理基準を満たした茶葉のみが、「セイロンティー」(Ceylon Tea)として販売されます。
これは品質を保証し、偽造品を防ぐための重要な一歩でした。
またスリランカは、オゾン層にやさしいお茶の産地として認められた最初の国でもあります。
2017年、セイロンティーは150周年を迎えました。
ジェームズ・テイラーが1867年に最初の商業農園を開設して以来、スリランカの紅茶産業は長い道のりを経て、輸出額が10億USドルを超え、100万人以上の市民を雇用する産業となりました。